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→活版印刷を語る(1)
黒柳義訓(くろやなぎ よしのり)
1947年(昭和22年)、長野県生まれ。1963年(昭和38年)3月蔦友印刷株式会社入社。高度な技術を要する印刷物を熟練の技で仕上げる印刷工。勤続59年。趣味は酒と煙草と時々釣り。
高岡昌生(たかおか まさお)
1957年(昭和32年)、東京都生まれ。1982年(昭和59年)、父親の経営する有限会社嘉瑞工房へ入社。1995年(平成7年)より代表取締役を務める。英国王立芸術協会(RSA)フェロー、東京都優秀技能者(東京マイスター)認定、新宿ものづくりマイスター「技の名匠」認定、モノタイプ社アドバイザー。
一色表現の難しさ
集英社マンガアートヘリテージ・岡本正史(以下、SMAH) 最近いろんな印刷会社の方とお話をする機会が増えたんですが、長年お仕事をされている方は胴に巻く紙の話をご存じの方も多くて、「あれは本当に難しい」と。印圧を逃して薄く印刷したいところをカッターで切るなど、そういう知識や技術は、先輩から教わるなどして連綿と続いてきたものですか?
蔦友印刷・黒柳義訓(以下、黒柳) そうです。私の場合にはハイデル(ドイツ、ハイデルベルグ社製の活版印刷機)でしたけど、昔は写真版っていうのがあって、活版の白黒の写真集があったんです。で、業者さんに聞いたのが、オフセットでやるのも綺麗だけども、光沢の出る活版独特の写真用インキっていうものがあって、それでやったほうが綺麗だっていうんでやり始めたんですね。すごく乾きが早いんですよ。だから同じ写真版を刷るにも、その活版用写真インキを使ってやったりしていました。
嘉瑞工房・高岡昌生(以下、高岡) ありましたねぇ。今もまだありますか?
黒柳 ないです。
高岡 そうですよね。
SMAH 活版で刷るということは、写真内のグラデーションは細かな点になっている、ということですか?
黒柳 そうそう。
高岡 昔の新聞に載っている犯人の顔写真とか、あんなような感じ。
SMAH 独特な感じになりそうですね。
高岡 そうですね。オフセット印刷はいったんブランケットに転写されたイメージが紙に印刷されるものですから、使われるインクの量が少ない。1平方ミリあたりのインクの量が全然違うので、活版印刷のほうがこってりと深みが出るっていう。
SMAH インクの量でいうと、高岡さんが「こんなにインク使うんですね!」と驚かれていましたけど、やっぱり通常のプリントと違いますか?
黒柳 ベタ物になるとやっぱり全然違います。
高岡 インクはかなり版に持っていかれますよね。どんどん取られて、かすれてきてしまう。
黒柳 例えば人物の写真で、胸元とか顔に網点があって、着ているものが真っ黒のベタになっているとき。ベタの部分に合うインキの量でやっていると、今度は網点のほうがみんな真っ黒になったりする。そうなるともう版を洗わなきゃ駄目。
SMAH 今回の『BLEACH』のイメージも、多分すごく難しいですよね。真っ黒な衣装を着ているけれども、髪などの描写がすごく繊細で、そこを両方出してくださいっていう……。
黒柳 試行錯誤して、オフセット印刷でスクリーントーンのところを印刷して、活版印刷を重ねて印刷するかたちをとりました。あの紙はオフセットもすごく綺麗に出るからね。活版だけだと、出しきれないです。
SMAH 今回コットン100%の厚い紙に印刷していただいていますが、ああいう紙も初めてですか?
黒柳 活版でやるのは初めてですね。
SMAH 通常はもっと薄い紙ですか。
黒柳 そうですね。
高岡 プラテン(平圧式)と違って、今回のようなシリンダータイプの印刷機は、紙が中で巻かれることになるから、硬い紙だとパーンと弾いちゃう。ぞっとします(笑)。
SMAH 紙が出てくる前に「バン!」って大きな音がしますね。あれは紙が弾かれている音ですか?
黒柳 そう。金属に当たる音。
SMAH 普通、印刷しているときにあんな音はしないものですか?
黒柳 まぁ、そんなに大きい音はしないです。

高岡 うちに昔、手差しのシリンダーがあったので、私も経験があるんですけど。こちらにある機械だと絶対に無理ですが、うちのは小さい機械だったので、厚い紙でやるときは「バーン!」とならないように一回一回シリンダーを手で押さえていました。ギリギリまで押さえて離すっていうふうにやらないと、厚い紙は絶対に無理。今回のような紙も、ぐっと押さえとかなきゃならないので、あの厚さは厳しいですね。蔦友さんの印刷機は大きいのでギリギリできたと思うんですけど、あれよりちょっとでも厚い紙だと無理かもしれない。
今はもう手に入らない活版道具
SMAH 今回、活版印刷機はモノクロ印刷以外にも使えることを教えていただいたのですが、すごくおもしろいですね。ミシン目を入れたり、水絵具の模様をプリントしたり。印刷機といいつつ、いろんな加工機を兼ねている。
黒柳 そうですね。型枠をセットして抜き加工をやったり、いろいろできます。
SMAH 最近はもうほとんど印刷に使われていなかったと伺いましたが、黒柳さんがお仕事を始められてから今までどういう感じで変わってきましたか?
黒柳 うちの場合はいわゆる「ページ物」とよぶ活字の冊子や、昭和58年(1983年)前後かな、写真集の活版印刷をよくやりました。ハイデルは、胴が硬いんですよ。だからすんなり印刷できる。135kgの上質の胴張りを2枚、あとは同じ135 kgのコート紙を2枚入れて巻いているんですけど、胴が硬いから紙を挟む圧力をあげられて、綺麗に刷れるんですね。
高岡 ハイデルの印刷機はドイツ製で、胴に使っている金属が硬いんです。日本製の機械も鉄を使っているんですけど、金属の組成自体がそもそも違っていて、そこまで硬くない。
SMAH 印刷機のクオリティというか、扱いやすさから全く違うものってことですか。そういえば、ハイデルベルグの印刷機が嘉瑞工房に運ばれてきたときに、「ドイツから送られてきた木枠のネジからすごかった」と高岡さんおっしゃっていましたよね?
黒柳 笑
高岡 うちは昭和38年(1963年)にハイデルを入れたんですね。木枠に入って運ばれてきたプラテン(プラテンT型印刷機)を、うちの前で木枠を分解して中に入れたんですけど、その木枠を留めていたネジを外して置いておいたんです。後で運送業者が引き取りにくるので。そしたら見知らぬおじいさんが来て、親父(嘉瑞工房の初代社長、高岡重蔵氏)に「このネジをくれないか」って言うんです。うちとしては、それは機械の部品じゃないから「ああ、どうぞ。でもどうしてですか?」って聞いたら、「うち実はネジ屋なんですけど、このネジは日本じゃ作れません」と。金属の組成が違ってすごく硬くて加工が難しくしっかりしているので、ドイツでは作れるけど今の日本の機械じゃ作れない、と。「参考としてもらっていっていいですか?」と言われました。当時の日本の工業レベルと、ドイツの工業レベルは明らかに違っていたんだと思います。
SMAH 当時、非常に高価な機械ですよね。黒柳さんがお仕事を始められた頃はまだ新しくてピカピカしていたと思うんですが、どんな気持ちで触って動かしていましたか?
黒柳 それこそ、(紙どうしのくっつきを防止する)白い粉が機械についたりしていたら、すぐに磨いたり。今はもう慣れっこになっちゃったから、そこまでやらないんだけど(笑)。
でも今でも、年に一回の大掃除のときには、ピストンの中にある油をすべてぬいて、一日かけて機械の中から全部綺麗に洗います。

SMAH どこに何があって、どういうパーツがあって、みたいなところも体で感じつつ?
黒柳 そう。昔、機械屋さんに来てもらって、今使っているハイデルのカバーを全部はずして、ここにあるネジを1ミリ動かせば胴が下がるとか上がるとか、そういうところまで教わったんだけど、もう忘れちゃったなぁ(笑)。
一同 笑
黒柳 使っている間にちょっと無理がかかってくると、胴圧が全然違ってきちゃうんですよね。一枚刷ったときに、「なんでこんなに胴圧がかからないんだろう?」っていうときがあったら、ゆるんでいる可能性がある。
SMAH その原因が一本のネジのゆるみ、ということですか。
黒柳 そうなんです。でもそれをやるにはカバーを全部はずさないといけないんですよ。重いし、それをするための道具や設備は、ここにはないし。仕方がないから一枚紙を余計に入れたりして調整しています。
SMAH 活版印刷のベースの位置を調整するスペーサーも「もう日本じゃ作れるところがない」と、高岡さんがお話しされていましたね。
高岡 「インテル」のことですね。もう作れないようで、うちも在庫があるだけしかない。今あるものを大事にするしかないですね。
黒柳 うちもそうです。こっちに引っ越してくるときに、あるものを全部持ってきた。それこそ宝ですね。大事にしなきゃならない。もうないものなので。それこそ今のマンガアートで、いろんな調整をするのには、ないと不便だし、困る。

SMAH 活字より先に、「インテル」とよばれる薄いスペーサー金具のほうが入手困難になっている、という話に驚きました。みんな活字には注目しやすいと思うんですけど、スペーサーまではなかなか考えがおよばないですよね。
黒柳 活版印刷で、活字の版を組みますよね。活字をいっぱい並べて文章を組むときに
「この活字とこの活字の間は何ミリ、ここからここまでは何ミリ」だっていうのが決まっていて、それをインテルを入れて調整していくわけですから。絶対に必要。
SMAH そうした組版(活字を印刷用に組む仕事)のお仕事もされていたんですか?
黒柳 いや、私は組版はやらないです。
高岡 ずっと印刷機のほうでやられていたんですね。
黒柳 そう。
SMAH 高岡さんは両方されていたんですよね?
高岡 うちは大きな会社じゃないから全部ひとりでやらないといけないので。文選(原稿にあわせて活字を一文字ずつひろっていく仕事)も組版も印刷も全部。
SMAH 大きさは違いますが、嘉瑞工房さんもハイデルベルグの印刷機を使われています。今回、蔦友印刷さんでのマンガアートの印刷の様子をご覧になって感じられたことはありますか?
高岡 それこそ、60〜70年もあの機械を使われているわけですけど、丈夫ですよね。
印刷機が駄目になるときって、どうして駄目になるか分かりますか? 多分、駄目になる原因の多くは「軸受け」の歪みなんですよね。シリンダーを支えている軸受けを中心に、高速で回転する。そこが歪むと印刷機はもう駄目なんですよ。でも60年以上も動いているってことは、その軸受けがブレていないんです。どれだけその精度が高いかってことですよね。
実はハイデルには厳しい設置基準があって、うちもコンクリを下に打っているんですけど、そうしたことが仕様書に書いてあるんです。斜めのところに置いたりすると駄目で、ハイデルを移動するときには水準器をシリンダーの上に置いて、水平がとれているかっていうのを必ず調べる必要がある。最初にハイデルを入れるとき、向こうの人に「それを守らないで印刷機が駄目になっても知らないよ」というようなことを言われました。でも「ハイデルは優秀だから、そうした基準を守ってちゃんと使えばかなり長く使えます」と。

高岡 軸受けがものすごくしっかりしていて、精密で硬い。いろんな印刷機の寿命が17年くらいといわれているのに、ハイデルにはその期限がない。要するに、きちんと使えばずっと使える。
SMAH 60年以上ハイデルベルグの印刷機を動かしていて、パーツを交換したりだとか、そういうメンテナンスはされているんですか?
黒柳 それはしています。ローラーがきしんでくるから、そうなったら替えないといけない。でも今はもうハイデルに連絡しても、部品がないんですよ。ハイデル自身がもう作っていない。
高岡 うちもホースが切れたりするとたまにハイデルの子会社というか別会社に頼むんですけど、在庫がないのはもうないってことを言われますね。うちで部品を交換したことはこれまでに2回ありました。
SMAH 相当耐久性の高いものなんですね。マンガアートを今後も長く刷っていただきたいです。
高岡 綺麗に使っていらっしゃるからまだまだ大丈夫ですよ。
VOL.3へ続く
(構成:岡村彩 撮影:藤田豊和/HIORYES Inc.)