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活版印刷を語る(1)

集英社マンガアートヘリテージ(以下、SMAH)の作品は、長い年月をかけて培われた熟練者の技術があって成り立っている。 モノクロームで表現されたマンガ本文の絵とセリフを、大型の活版平台印刷機を用いてGMUND社のコットン100%用紙に等倍プリントする「The Press」シリーズ。「GMUND AWARD2021」のアート部門大賞を受賞し、世界的評価を受けたこれらの作品の印刷を、一手に引き受ける熟練の技術者が長野にいる。蔦友印刷株式会社の黒柳義訓氏だ。 さらに、戦前より欧文タイポグラフィの技術を発信し続ける嘉瑞工房の2代目社長、高岡昌生氏。SMAHでは、作品に同梱する「NFTブロックチェーン販売証明書」の活版印刷をお願いしている。 今回は高岡氏とともに、SMAHのプロデューサーを務める集英社デジタル事業部・岡本正史が長野の蔦友印刷を訪問。「The Press」に新たに加わった久保帯人『BLEACH』のプリントの様子を見学し、その後、黒柳氏と高岡氏にお話を伺った。 1960年代から今までの印刷の歴史、そして、60年に渡る黒柳氏の経験を持ってしても困難を極めたというプリントについて、3回に分けてお届けする。 (2022年5月27日 長野・蔦友印刷株式会社にて収録/全3回)

黒柳義訓(くろやなぎ よしのり)
1947年(昭和22年)、長野県生まれ。1963年(昭和38年)3月蔦友印刷株式会社入社。高度な技術を要する印刷物を熟練の技で仕上げる印刷工。勤続59年。趣味は酒と煙草と時々釣り。

高岡昌生(たかおか まさお)
1957年(昭和32年)、東京都生まれ。1982年(昭和59年)、父親の経営する有限会社嘉瑞工房へ入社。1995年(平成7年)より代表取締役を務める。英国王立芸術協会(RSA)フェロー、東京都優秀技能者(東京マイスター)認定、新宿ものづくりマイスター「技の名匠」認定、モノタイプ社アドバイザー。


60年以上稼働し続けているハイデルベルグ社製の活版印刷機

集英社マンガアートヘリテージ・岡本正史(以下、SMAH) 僕は以前に一度こちら(蔦友印刷株式会社)へ伺っているのですが、活版印刷の工程は拝見していても分からないことが非常に多くて。今回、活版印刷の専門家である高岡さんにもお越しいただいたので、マンガアートの印刷が普通の印刷とどう違っているのかなど、活版の歴史とあわせてお話を聞かせていただければ、と思っています。

事前に黒柳さんの簡単なプロフィールを頂戴したのですが、黒柳さんと高岡さんは10歳違いのようですね。

嘉瑞工房・高岡昌生(以下、高岡) 私は今年65歳になります。

蔦友印刷・黒柳義訓(以下、黒柳) そうですか。

SMAH まず黒柳さんの経歴を伺うところから始めたいと思います。お生まれは長野県ですか?

黒柳 はい。上水内郡の、今でいう飯綱町。昔は牟礼村というところでした。

SMAH ここから近いところですか?

黒柳 車で25分か30分かな。

SMAH そちらでお生まれになって、最初の仕事先が蔦友印刷ですか?

黒柳 そうです。中学を出てすぐ、昭和38年(1963年)の3月から。学校の先生のあっせんで、印刷に行きたいって話になってね。

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SMAH もともと印刷にご興味があったんですか?

黒柳 いや。興味は全然ないんですけど、特に他の仕事が頭に浮かばなかったんで。ちょうど入るときに仲良くなった同期がいて、「よし。ここに決めた」っていうので、そうなった。何も深くは考えてないんですよ(笑)。

SMAH 当時はこことは別の場所に工場があったと伺いましたが、そこではほぼすべての印刷機が活版印刷機という感じだったのでしょうか。

黒柳 そうですね。活版印刷の昔の煽り式の機械(印刷された枚葉紙が紙取り胴を経て送りひもに乗って送り出されたものを、背面からくし状に並べたあおり木の煽り運動によって紙受け台に渡す装置がある印刷機)が多くあって、あれを中心にやっていたんです。それと送り出しの機械(人が一枚ずつ手作業で機械に給紙していた手差しのものに代わり、自動で行う給紙装置が設置された印刷機)で。私が入った当時はもうハイデル(ドイツ、ハイデルベルグ社製の印刷機)はあったんですよ。それから何回か入れ替えて。多いときは8台動いていたのかな。

SMAH 今ある機械は黒柳さんが入られたときにはまだなくて新しく入ったものですか?

黒柳 いえいえ、当時からあったやつを使っています。

SMAH じゃあ、黒柳さんのお仕事歴以上にあのマシンは動いているんですね!

黒柳 そうそう、私よりも先輩というか(笑)。

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高岡 桜井製作所の活版印刷機と一緒に、ハイデルも入っていたってことですか? 早いですねぇ!

黒柳 だから全部で16台かな。

SMAH ドイツから輸入したハイデルが8台で、日本の活版印刷機が8台、ということでしょうか。機械は朝から晩まで動いていたんですか? 当時は二交代制ですか?

黒柳 二交代制ってことはないです。夜の残業は10時までで、それが最終で終わったら帰るっていう。

SMAH 朝は何時からですか?

黒柳 8時半。

高岡 昔はわりとそれが普通ですね(笑)。

SMAH ちょうど今日、高岡さんのお父さん(高岡重蔵氏)が活版印刷を始められた当時のことを伺っていたんです。先程見学させていただいたときに、印刷した紙と紙のあいだに紙を挟んでいく作業をされていたと思うんですけど、まさにそれを見習いのときにされていた、と。ただ「こんなことをやっているところは、もう今はどこにもないです」と、高岡さんがおっしゃっていて。

黒柳 あれは自分で考えたんです。あの用紙にあのプリントをすると、胴圧がきいているもので……。

高岡 インクが濃すぎて、裏写りしちゃいますものね。

黒柳 そう。裏写りをふせぐ粉をまいても駄目だから。昔は結婚式の席次表とかね、そういうものを厚い紙に刷るときに使っていたんですが、「粉をまかないでやってほしい」ってお願いされたことがあって。黒い服を着ているお客さんがそれを持っていると、服が白くなっちゃうっていうんで。ところがあれをやらないと裏写りしちゃうんですよね。だから考えた末、一枚一枚、紙を挟むことにしたんです。(*「間紙(かんし)入れ」とよぶ)

SMAH 高岡さんのお父さんも、修業時代に同じような作業をされていたと。

高岡 戦前の頃ですね。一番の下働きが煽り(方式の印刷機)に新聞紙を挟んでいくのが最初の役目みたいなもので。当時はまだ自動給紙じゃなくて手差しの時代だったので、機械の反対側でうちの親父が紙を挟んでいたらしいです。当時はまだ洒落た粉なんてない時代だから、本当にそれでやらないと裏写りしちゃうので。

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これまでに見たことのないほど巨大な樹脂版

SMAH ちょうど今、戦前の話になりましたが、見学しながら高岡さんに伺った歴史的な話もとても興味深くて……。樹脂版のうしろに黒柳さんが両面テープを貼っていらっしゃるところをご覧になりながら、「両面テープみたいな便利なものができるまでは、本当に大変だった」とおっしゃっていましたよね。亜鉛版を釘打ちしていたとか?

高岡 活字の高さに揃うように、木の板に亜鉛版を釘打ちして固定して機械にかけるっていうことをやっていたんですね。

黒柳 細くてすごく短い、鉛版(えんばん)釘というのがありまして。釘が刺さりやすいように、亜鉛版にドリルで穴をあけてから打ち付けて固定して。それから印刷する。

SMAH 働き始められた頃は、そういったやり方で?

黒柳 そう。それからベース版(金属のプレート)ができて、両面テープが入ってきて。ところが私、今回みたいな大きい樹脂版は初めてなんですよ。この仕事に携わらせてもらって、初めてあんなでかい樹脂版を触った。だから最初は、とってもこんなのは無理じゃないかなぁって……。

一同 笑

黒柳 いやぁ、本当に苦労しました。

SMAH ありがとうございます。

黒柳(樹脂版をプレートに)置くと、ピタッと貼りついちゃうから。そこから動かないんですよ。それをどうすればいいかなぁと……。で、よくよく考えた末が、ボロ布を使ってベース版の上に油を薄く敷いて、乾いた頃にいったん拭いてから樹脂版を乗っけて、滑らせるように動かして貼るというもの。ピタッと貼っちゃうともう駄目なんですよ。だから両面テープのついた樹脂版をベース版に置いて、ずらしながら当てていく。

SMAH マンガは原画のサイズがB4のことが多くて、それを雑誌サイズに縮小するんです。黒柳さんがおっしゃったように、あのサイズでマンガを印刷することって今までなかったんですよ。さまざまな工夫で実現していただいて、本当にありがとうございます。

高岡さんは、黒柳さんがプレートに樹脂版を貼りつける様子をご覧になりながら、「活版印刷の仕事はずっと中腰なんだ」っておっしゃっていましたよね。「こうして力をずっとかけ続けるんです」と。

高岡 うちはハイデルのプラテン(プラテンT型印刷機)を使っていて、こちらの機械よりは小型なんですね。B4までしか入らないので、版が大きい場合でも、A4大くらいが多い。それでも、やっぱり一度にピタッとやるとくっついて動かせなくなります。なので、針をプレートと樹脂版の間に挟んで、「あ、いいな」って思ったところで調整して針を抜いて固定するっていうやり方をしますね。でも、私もあんなに大きいものはやったことがない。考えただけでゾッとします(笑)。

SMAH 今回黒柳さんにお願いしている「The Press」のシリーズは、ベタ面がすごく印象的で。真っ黒な色面が表現できるよう、ご調整いただいているんですけど、高岡さんは「うちだったら断ってる」っておっしゃっていましたよね(笑)。

高岡 うまくできない可能性が高いので、相談されたら、まずは、断ります(笑)。

一同 笑

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黒柳 とにかく私もびっくりしました。「どうやってこれを貼ればいいかなぁ」と……。昔の冊子などの絵柄は、例えば小さな地図みたいなもので、印刷に使うのも小さい樹脂版だったので。「まぁやってみるか」と思って、両面テープ貼ってベース版の上に置いてみたんだけど、やっぱりいったん貼っちゃったら動かない。それで考えに考えて、今のようにやりだしました。

SMAH 高岡さんが、嘉瑞工房で使われている活版印刷機と違うなと思われたところはありますか?

高岡 当社のは平圧方式の印刷機なので、面であたって印刷するんですけど、こちらのシリンダー方式の印刷機は、筒の円の頂点が版と接しているので、平圧よりも圧倒的に力がかかりやすいんです。私が「ベタ潰し(黒一色の均質な面の印刷)」の印刷が嫌だって言っているのには理由があって、平圧の印刷機だと多分押し切れないんですよね。版の真ん中がちょっと白っぽくなっちゃう。そういう意味では、円圧のシリンダー方式の印刷機のほうが優れていると思いますし、やるならそれしか方法がないなと。

黒柳 要は、下のところに2本ついているローラーの調整なんですよね。ローラーの調整をうまくやると汚れも出ない。それをしないと、もう全面的に汚れちゃう。

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高岡 版とローラーの間。それが傾いているとベタッとなってしまうので、そのトラックをどれくらいまで上にあげて、ギリギリでローラーがつくかっていうところを調整するのがすごく難しいですね。

黒柳 そうです。朝のうちはローラーが冷えているからインキの調整が一定にできるんだけど、一日やっているとだんだんローラーが温まって膨張してくるんですよ。そうするとベタ面の下に白いところができてしまったり、インキがついちゃいけないところまで、ピタッとついちゃう。だから午後一で、ローラーを再調整してやらないといけない。

SMAH 季節的に良いとき、悪いときなんかはあるんですか?

黒柳 印刷の場合は、インキでいうと冬場はあんまり良くないんだけど。

高岡 気温が低く、乾燥していますからね。

黒柳 でもローラー調整は冬場のほうが安定しているんだよね。

SMAH 繊細な線が多い作品だと、プリント一回ごとに版を拭いていただいているんですよね。

黒柳 そう。あれはね、活版印刷だからこそですよね。オフセット印刷のほうが手入れしやすい。活版だと、ローラーに小さなわたぼこりがついただけでも、ベタの上だと白が出ちゃって駄目なんです。本当にあの樹脂版はでかすぎるんだよなぁ……。

一同 笑

VOL.2へ続く
(構成:岡村彩 撮影:藤田豊和/HIORYES Inc.)

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