
2021年3月1日にスタートする「集英社マンガアートヘリテージ」。日本が生んだ豊かな文化を後世へ伝承するべく、ブロックチェーン登録証の発行など新たなテクノロジーを導入して「マンガ」と「アート」そして「文化」をつなぐプロジェクトです。ローンチへ向けた準備も佳境となる中で、本プロジェクトについて語る座談会を開催。「アート×ブロックチェーン」のパイオニアであるスタートバーン株式会社の代表取締役・施井泰平、ロックバンド「Analogfish」のギターボーカルでありながら様々なカルチャーと関係も深いミュージシャンの下岡晃、そして「集英社マンガアートヘリテージ」を担当する集英社・岡本正史の3名に、プロジェクトへの思いやブロックチェーンの導入についてなど存分に語ってもらいました。多岐に渡った内容を全2回に分けて掲載します。
施井 泰平(写真左)現代美術家、スタートバーン株式会社代表取締役。東京大学大学院学際情報学府修了。2001年に多摩美術大学絵画科油画専攻卒業後、美術家として「インターネットの時代のアート」をテーマに制作、現在もギャラリーや美術館で展示を重ねる。2006年よりスタートバーンを構想、その後日米で特許を取得。大学院在学中に起業し現在に至る。講演やトークイベントにも多数登壇。
スタートバーン株式会社
https://startbahn.jp/
下岡 晃(写真右) 1999年結成の3ピースロックバンド「Analogfish」ボーカル・ギター。ウェブメディア「m社」(現在休止中)のほか幅広く活動している。スタートバーン・施井と集英社・岡本をつないだのが下岡である。
Analogfish公式サイト
https://www.analogfish.com/
岡本 正史(写真中央) 株式会社集英社デジタル事業課課長。東京芸術大学美術学部卒業後、集英社に入社。女性誌〜女性誌ポータルサイトを経てマンガ制作のデジタル化に参加し集英社刊行の主要コミックスをアーカイブしデータベース運用する「Comics Digital Archives」を企画・実現。『少年ジャンプ』等マンガ誌の制作環境のデジタル化を行う。「集英社マンガアートヘリテージ」プロジェクトリーダー。
「手に持ってみる絵」から「壁にかけて見る絵」へ
岡本 ではまず、実際に「マンガアート」を見てもらいましょうか。
施井 箱がしっかりしていてカッコいいですね。
岡本 作品のパッケージや梱包って、アートの世界だと単に段ボールで包んだだけっていうことも多いですよね。
施井 作品の形状に合わせて特注することもありますけど、ここまでちゃんとしているのを見たことないですね。
下岡 これらの作品は、もともとこのサイズで描かれたものなんですか?
岡本 かなり大きくしていますね。原寸と比べるとこんな感じです。

岡本 この大きさになって初めて見えてくるディティールもあって面白いんですよね。特に『ONE PIECE』は、絵の描き込みの密度がすごいので。
下岡 情報量がハンパないですよね。『ジャンプ』を読んでいて『ONE PIECE』に差し掛かかると、いつも「マジすごい」ってなります(笑)。『イノサン』のこの絵って、マンガを連載しながら描けるものなんですか?
施井 そうですよね。この絵だけに集中できるんだったらまだわかるけど。
岡本 坂本先生はフルデジタルで描かれていますね。髪や服のパターンがPCにたくさん保存されていて、そのパーツを貼り付けて調整していくという描き方で。「なんでコミックスサイズに印刷されるとわかっていながら、こんなに細かい絵を描くんだろう?」って思うくらい緻密で、とてもじゃないけどコミックスでは視認できない細かさなんですよ。他にも大きな作品で観てもらいたい作品はたくさんあります。

下岡 『ベルサイユのばら』も素敵ですね。僕はこの作品が生まれた時代の人間なんだなっていう気がします。要点が掴めるというか。
施井 うん。完成度が高いし、パッと見て何が言いたいかがわかる感じ。
岡本 1972〜1973年に連載されたものですが、今見てもインパクトがありますよね。
施井 こうやって見比べると、昔と今の違いがとても楽しいです。
下岡 「マンガ」と一口に言っても、作家によって表現方法が全く違うんだなっていうことがわかりますね。
岡本 マンガってずっと「手で持って見る絵」だったんですよね。手元の絵であり、触れる絵だった。だから壁にかけて距離をおいて鑑賞できるようになるだけで見方は変わるし、いろんな発見がありますよね。加えて、日本だけでなく海外も含めて展開することで、まったく違う捉えられ方をされるようになるんじゃないかと期待しています。

岡本 そして「THE PRESS」という活版印刷を使ったシリーズも進めています。マンガ雑誌を刷るときに使う「樹脂版」というものがあって。
下岡 これ、モノとしての魅力がすごくありますね。ここにインクをつけて印刷するんですか?
岡本 そうそう。マンガ印刷の工程って、マンガ家さんが描いた原画を製版・組版という過程で一回スキャンしてモノクロの二値データにするんです。データからフィルムを作って、ドロドロの黄色い樹脂に紫外線を当てて固める。そうやってできるのが樹脂版なんですね。これを輪転機に設置して、高速回転させて印刷するんです。印刷工程の映像があるので観てみましょうか。
協力:共同印刷グループ
下岡 すごい技術ですね。現行で使われている機械なんですか?
岡本 これは「週刊少年ジャンプ」を刷っているところですね。
施井 めちゃくちゃ早い! でもこれくらいの速度で印刷できないと、毎週数百万部を発行するなんて無理ですよね。
下岡 うん、確かに。
岡本 樹脂版はこうやって印刷で擦り減った後に溶かして、また次週に使われるんですよ。
施井 リサイクルされているんですね。
岡本 こういった原始的かつ高速な印刷に耐えるように、再生紙に刷っても視認性が担保されるように、ということで、スクリーントーンや「アンチゴチ」と 呼ばれる書体、マンガ表現をより豊かにする方法が生みだされてきたと思うんですね。あと、集英社のマンガの文字って他社の多くのマンガとは決定的に違うところがあるんですけど、わかります?
下岡 ええ……?
岡本 実は、集英社のマンガは、エクスクラメーションマーク(!)が斜め(!)なんです。
下岡 あっ、本当だ!
岡本 斜めのほうが勢いが出るからというのが、最初にこうした理由だったんじゃないかと思うんですが……これをきれいに見せるために組版にもこだわって、書体によって拡大したり並べるマークの数によって文字ヅメを変えたり。すごく細かく設定されてるんです。
施井 そうだったんだ。
下岡 知らなかった……。
岡本 話を戻すと、マンガってそういった印刷技術に合わせて進化してきた面もあって。その事実に立ち返るようなものも「マンガアート」のセットには含めたほうがいいんじゃないかと。今はもっと新しい別の技術がありますし、いずれはこの機械も樹脂版もなくなってしまうはずなので。失われるものがあるという気付きも、このプロジェクトを始めるにあたっての大きな理由の一つですね。
なくなっていくもの
施井 それは、具体的にどういった気付きだったんですか?
岡本 やっぱり「放っておくとなくなっていっちゃうんだ」ってことですよね。「週刊少年ジャンプ」のような週刊連載の原稿に使われているインクや画材ってどうしても劣化が早くて。5年と経たずに変色したり色が抜けたりしてしまう。油絵などの他の絵画作品は、最終的に鑑賞できるものをそのまま描いていくので耐久性が高いんですが、マンガの場合は原画って完成原稿ではないので。
施井 なるほど。印刷されて初めて完成品になるものだから。
岡本 そう。原画そのものが見られることは想定されていないんです。劣化の早い画材を使ってでも、週刊連載のスケジュールに合わせないといけないし、写植も原画に直接貼るので、その接着剤からもどんどんダメージを受けていく。フレッシュな状態をキープするにはデジタルデータでアーカイブするしかないんですけど、単に原画のデータだけではなく、どういう設定でスキャン撮影されたのかといった製版に関するデータもないといけない。それがないと印刷物の強みであるはずの再現性がなくなってしまうんですね。そしてそういったデータだけではなく、ちゃんとプリントも行っていく必要がある。「モノ」として残しておかないと、もしデータが無くなったとき、本当にこの世から消えてしまうから。

下岡 すごくわかります。
岡本 今回『ベルサイユのばら』の「マンガアート」には、2007~2008年頃に始めた「集英社コミックスデジタルアーカイブ」の黎明期に池田理代子先生からお借りして、高精度スキャンした原画データを使っています。でも描かれてから35年経ってスキャンしたので、その時点で既に劣化していたんですね。今回は、あらためて原画をお借りし、高解像度のカメラで撮影を行いつつ、2008年のデータや連載当時の掲載誌をもとにレタッチして、描かれた当時の色彩を可能な限り復元しています。そういうことも、状態が悪くなりすぎるとできなくなってしまう。しっかりと作品を保存できるギリギリのタイミングが、今なんじゃないかと。
下岡 過去の作品も含めると、保存する原画って相当な数になりますね。
岡本 印刷用の元データはどんどん溜まっているし、やはり絵を見てもらいたいという思いもあるんです。だからちゃんとしたプリント作品として「マンガアート」を作って、作品の保存という目的だけでなく、絵それ自体をいろんな人に見てもらえればと。
アートの中の「マンガアート」
下岡 僕がやっていた「m社」もデータ自体は残っているんですけど、今は誰でも見られるような状態ではなくて。
岡本 下岡くんが〝「有識者」に対して自分たちは「無識者」なんだ〟っていうことで始めたウェブメディアですね。m社の連載インタビュー企画の「フィールドレコーディングス」で施井くんにインタビューしたんですよね。
施井 僕がブロックチェーンに触れる前ですね。取材されたことがほとんどない頃だったので、取材当時のことを憶えてます。
下岡 その頃のm社の記事もそうなんですけど、写真もたくさん撮ってハードディスクに保存してるんです。でも、どれだけ良い写真を撮っても保存してしまうと二度と見ないっていうことがけっこうあって。
岡本 なるほど。僕も、出版社にいるので雑誌って本屋さんに並んでいる期間がすごく短いんだって気付かされたことがあって。逆にデジタルというかウェブに掲載されている記事って長期間に渡って読まれる。一方で、下岡くんが言うように置き場所がなくなった瞬間に誰もアクセスできずに見られなくなっちゃう。
施井 そうなんですよね。
岡本 アナログのほうがパーマネントでデジタルのほうがテンポラリーといったイメージってまだまだ根強いけど、この議論ってまだらになってますよね。
下岡 でも、マンガって日本だけでなく世界も含めて、たくさんの人が共有しているものじゃないですか。あのとき読んだあのページ、あの一コマが印象に残っているっていう人って絶対にいて。そういう人にこのプロジェクトが伝われば「この作品のことを憶えてるよ」っていう声が届くようになるはずですよね。どれだけデータとして埋もれていても忘れられることはないというか。
施井 アーティストは斜に構えて作品づくりをしていところがありますけど、マンガ家さんってある意味、目の前のお客さんをまっすぐ捉えていますよね。そのスタンスで作られるものだから、受け手側も含めて当事者性が強いっていう感覚があって。

岡本 確かに、画家やその他のアーティストとは、作品を成立させるための文脈がまず違いますね。この『ベルばら』の絵を見ても、キャラクターの立ち位置や身体のラインが対角線に沿って、さらに中心点から放射状にレイアウトされていて。美術的な構図の話でいうと、すごくスタンダードに作られている。
施井 その点でいうと画家より巧さを感じます。そのぶん絵画的な意図が見えないというか。アーティストのほうが現代においても作品を客観視していて、作品との距離があるから成立しているところがあると思うんですけど、そうやって考えるとマンガアートの価値って20年くらい後に客観視ができるようになって初めて「何であのとき買っておかなかったんだろう」ってなるようなものなのかもしれない。
岡本 でも価値があるとわかったときには、絵そのものが失われている可能性が高いんですよ。
施井 そうなんですよね。
岡本 あるアートコレクターの人に聞いたんですけど、やっぱり作品の真価がわかるには50年後や100年後というスパンで考える必要があるんだと。現時点ではすべてを判断できない。
下岡 マンガのようなある意味で商業的なものを芸術として捉えるのは、まだ歴史としては浅いですよね。歴史の中で見えてこないと価値ってわからないものなのかも。
岡本 手塚治虫とアンディ・ウォーホルって生年が同じだし、そう考えるとマンガってものすごく新しい表現ですよね。
施井 作品が生まれてしばらく経ってから「あれはアートだった」というのはもちろん考えられるんですけど、マンガって日常に存在しているものだから「これは絵画として良いものだ」っていうフレームがまだないと思うんですよね。あの立派な箱に入れて「これはアートですよ」と示すことを、現役のマンガ家の作品に対してやっていることが、実はすごいことで。
岡本 確かに「フレームを切る」っていうのは、けっこう考えてましたね。
施井 物理的なフレームもそうだし、コンセプトとしての「フレーム」もありますよね。一枚絵として切り出してみる、その観点の切り取り方がまさにフレーミングで。
岡本 うん、現代芸術やコンテンポラリーアートだと、もうフレーミングがすべてっていうところがありますしね。
下岡 知識や知見による切り取られ方もありますよね。施井くんから美術家の客観性についてのお話がありましたけど、それってルールや歴史がわかっているから生まれるもので。「マンガアート」でフレームを切っている絵はすでに一般性を持っているというか。
岡本 あまりにもメジャーな絵ゆえに、見てるんだけど見ていないということが起こっているかも。この『ONE PIECE』の絵は歌舞伎が引用されたり、狩野派的な技法が使われているんだけど、美術の文脈を知らない人にとっては単に「ONE PIECEの和風の絵」なんですよね。『イノサン』にもミュシャを参照してる絵があるし。そういったバックグラウンドをちゃんと見ていく道筋が作れると、より深く楽しめるようになりそう。
施井 確かに『ONE PIECE』の絵をそういう観点で見ていくってなかったですね。

岡本 一方で、アートの枠組みに入るだけだとつまんなくなる気もしていて。そのバランスですよね。
施井 バランスはいいと思いますけどね。このプロジェクトが続いて、いろんなマンガ家の作品が「マンガアート」化していけば、そこで独自の文脈の切り取り方も生まれて。自分たちの土壌から生まれたアートなんだっていう安心感や、その感覚へのリアリティもどんどん構築されていく。そういったことが期待できるバランスだと思います。特に、海外からの反応っていいんじゃないかな。国内だとあまりにも「日常」だし、灯台下暗しで身近すぎる。
岡本 最初の段階では「この絵、知ってる」ってなるだけかもしれませんね…。
施井 「普段手元で見ていたものが大きくなっただけじゃん」という反応になりそうだけど、海外から見ると、日本から発信されるものとして期待されていたのが、まさにこういったプロジェクトなんじゃないですかね。外部からのほうが的確に評価できるような気がします。数年が経ってようやく日本の中でもそういった価値観が醸成されていくものというか。
岡本 芸術として評価されるのはもう少し後なのかもしれないけど。そのためにも、いろんな人に見てもらうのがスタートだと思いますね。
下岡 アートを買う人ってステータスを買うって感覚が少なからずあると思うんですけど、だからこそ、マンガから切り取られたこれらの作品がどういう風に存在していくのかなって。そのことを考えると楽しいですよね。実家の壁にかかっているのか、ふらっと入った古びた喫茶店なのか、ハイファッションのブティックなのか、オタク友達の部屋なのか。在り方を想像するだけでドキドキしますね。
岡本 確かに、同じ絵でも飾られる場所によって全く印象は変わりますよね。そうやって世界が広がっていってくれると面白いですね。

vol.2へ続く
(構成:草見沢繁 撮影:岡本香音)