作品について
両手に空いた穴から、物質を取り込み、融合することができる「穴あき(バグラー)」。『バイオーグ・トリニティ』は、そうした人々が日常的に存在する世界を描く。ヒロインのひとり、井本極子(いもと・きわこ)は、バイクと融合したバグラーである。
ハブレスホイールと直線的なフレームに、流線形のカバー。バイクのデザインは未来的だ。ゴーグルをかけ、髪をマフラーのように首に巻き付けた極子は、腕をまっすぐに伸ばしてホーンタイプのハンドルに手を置き、左の指をブレーキレバーに軽く添えている。
幾何学的な効果線の描写に対し、手描きの効果音「ドドドド」は荒削りで、このバイクが非常識的な馬力のエンジンを搭載し、その重い振動を極子の身体に伝えていることを示している。
柔らかくあたたかな女性の身体と、硬いバイクの金属との対比。大暮維人が好んで描くテーマのひとつだが、ここにはさらに、速度と時間の描写が加わっている。
『バイオーグ・トリニティ』は、ふきだし内の台詞の多くが横に組まれる、日本のマンガとしては特異な作品なのだが、ページの綴じ方は標準的なマンガと同じく右開きになっている。従ってコマは右から左、時間も右から左に流れている。
斜め上、前方より極子の全身とバイクを描いた大ゴマから、彼女の顔のクローズアップが描かれた後に、縦長に切り取られたコマは後方からのショットに切り替わる。幾何学的な地面と、光の柱が立つ空。その地平線に向かっていく極子は、疾走しているというより、静止しているかのようだ。続くコマに描かれるのはスピード線のみ。続く2コマには何も描かれず、時間の経過のみが示されている。
爆音を発しながら走っていたはずが、時間が静止し、リアルだったはずの空間は抽象的になり、その抽象的な時空間さえも消失していくかのようだ。
大暮維人の絵をはじめて大型活版平台印刷機で作品化するにあたり、我々はこのシーンを選んだ。柔らかな女性の身体、硬質なマシン、荒削りな擬音が同居する場面である。
繊細さと力強さを両立させるため、スクリーントーン部分を分版しオフセット印刷したうえで、描線を活版印刷でプリント。コットン100%のファインペーパー「グムンドコットン マックスホワイト」に、2種類の方式でパターンと線が表現されている。
「メタバース」という言葉があらためてクローズアップされているが、『バイオーグ・トリニティ』は複数のメタバースを横断し、破壊し、再結合させるような作品である。このシーンの昂まりは、新たな地平、新たなブラックホールの出現を告げている。
*プリントにサイン(直筆)
*綿花を原材料に用いる用紙の特性上、微細な黒点が混じる場合があります。また活版印刷の微妙な色ムラ、微細なインキの飛沫の付着が起こる場合もあります。ご理解のうえ、お申し込みください。
1995年「漫画ホットミルク」(白夜書房)掲載『SEPTEMBER KISS』にてデビュー。「ウルトラジャンプ」(集英社)にて『天上天下』、『バイオーグ・トリニティ』(舞城王太郎と共作)、「週刊少年マガジン」(講談社)にて『エア・ギア』を連載。『エア・ギア』では第30回講談社漫画賞少年部門を受賞。アニメ、ゲームのキャラクターデザインも多数手がける。現在は「週刊少年マガジン」誌上で『化物語』(原作:西尾維新)を連載中
両掌に穴が空き、好きなものを吸い込んで融合できてしまう病気「バイオ・バグ」。あやういバランスで成り立つ世界を舞台に描かれる青春群像劇。「小説のマンガ化ではなく、マンガの形態をとった小説」を目指し、小説家・舞城王太郎と大暮維人が共同制作した挑戦的な作品。

活版平台印刷
モノクロームの物語表現であるマンガは、その草創期から、最も原初的な印刷方式である活版印刷で刷られてた。現在でも「週刊少年ジャンプ」をはじめとするマンガ誌は、カツリンと通称される活版輪転印刷で制作されている。
活版印刷は、印刷用の樹脂板に付着したインクを直接紙に押しあてて転写する、原初的な印刷方式である。こうした印刷がされることを前提に、マンガの表現は進化してきた。
例えば文字。マンガの文字組版では、ひらがなやカタカナがセリフ体(明朝体)、漢字がサンセリフ体(日本ではゴシック体と通称されることが多い)の「アンチゴチ」とよばれる書体が基本書体となっている。これはマンガの草創期、活版印刷で印刷したときに、可読性が損なわれないために選ばれたという話もある(「アイデア No.336」2009年9号・誠文堂新光社 参照)。またスクリーントーンによる表現も、グレーが表現できない活版印刷でグレーやパターンを表現するため、デザイン用の画材を流用したことからはじまっている。
活版輪転印刷は大部数の制作用のため巨大な再生紙のロール紙にしか印刷できないが、活版平台印刷機では様々な用紙にプリントを行うことができる。かつては東京都内を含め日本全国で見られた活版平台印刷機だが、オフセット印刷機にとって代わられ、現在は大型のものは見かけることが少なくなっている。
もともと活版印刷に最適化した表現であるマンガを、現在考えうる最高のクオリティの活版印刷で作品化できないだろうか。これが我々の問いだった。
活版平台印刷機を用い、強い印圧でプレスする。オフセット印刷でも、リトグラフ印刷でも、シルクスクリーン印刷でも不可能な、物理的なインパクトのある唯一無二の表面。そこに触れると、印刷面が凹んでいることが分かる。
作品によって、細い描線の繊細な表現とスミベタの力強い表現を両立させるため、複数の版を使用している。
マンガ作品はもちろん、希少になった印刷機と、印刷技術を後世に伝えていくことも目的にしたコレクションである。
蔦友印刷(長野)での印刷風景 TOKYO LETTERPRESS(東京・神楽坂)での印刷風景 日光堂(東京・浅草)での印刷風景