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永井豪 輪島市訪問記 2025年6月30日

2025年6月30日。『マジンガーZ』のアートプリント寄贈のため、永井豪はダイナミックプロダクション、集英社のスタッフとともに輪島市を訪れた。永井が輪島を訪れるのは、2024年1月1日に発生した震災後、はじめてのことだった。

永井豪が輪島市(当時の鳳至郡輪島町)に生まれたのは、1945年9月6日。昭和天皇の玉音放送で敗戦が告げられてから、約3週間後である。

1952年、小学校1年生のときに東京に引っ越すまで、市内に暮らした。こどもの頃「急に意識を失ったときに母親の胎内にいたときのことを思い出した」という永井は、幼少期の記憶もはっきりしており、輪島の思い出も多い。神社や海辺で遊んだこと、山川惣治の『少年王者』の主人公・真吾の裸にどきどきしたこと、雨が降ると道が水であふれて小学校に通うのが大変だったこと、など。成人してからも輪島を訪れる時間はなかなかとれなかったが、故郷を思う気持ちは変わらず、自身の結婚式の引き出物も輪島の漆器を取り寄せている。2009年に永井豪記念館が朝市通りにできてからは定期的に輪島を訪れ、市とのつながりをさらに深めることになった。

2024年の震災では、記念館が全焼。展示されていた原画も焼失したと思われていた中、「私は現役のマンガ家ですので、もし失われていたとしても、いくらでもまた描いたり作ったりすることが出来ると思っています」と、被災者のことを気遣うコメントを発表する(その後、原画は奇跡的に焼失を免れていたことが判明)。その言葉は、多くの人々に勇気を与えた。

2023年、集英社マンガアートヘリテージは輪島市の田谷漆器店に依頼し、作品を展示するための輪島塗の額を製作していた。

田谷漆器店は、震災により工場と店舗、建築中だったギャラリーが全焼。輪島塗額も、2023年にできあがっていた11台を限りに、いつ生産できるか分からなくなった。

輪島に役立つことをしたい。その思いから、永井豪とダイナミックプロダクションに連絡をとり、実現したのが『マジンガーZ』のアートプリントシリーズである。カラープリント作品と、活版印刷作品。これらのエディションプリントの売上の一部と、プリント作品を輪島に寄贈することになった。活版印刷作品は、印刷のための金属版の写真とともに、田谷漆器店で製作した輪島塗額におさめて寄贈した。

寄贈式の日。のと里山空港で輪島市役所の方々に迎えられ、永井豪と私たちは輪島市へと向かった。道中、地震により倒壊した建物と、豪雨により崩れた山肌が見える。まず永井は、永井豪記念館跡を視察することになっていた。輪島市役所の車に先導され、ワゴン車は市内に入っていった。

「降りた時に、どうしてここで降りるんだろうな? どうしてあそこにマスコミの人が集まってるのかな? と。ここが記念館のあった場所だということが、まったく分からなかった。本当に景色が分からない。少しでも手掛かりが残っていると、思い出も蘇るんだけど。別の場所に来ちゃったような……」

記念館跡でのマスコミ取材撮影のあと、ワゴン車に乗り込んだ永井は、そうつぶやいた。

その後、輪島市役所での寄贈式。坂口茂市長に、作品が手渡された。

寄贈式で、永井はこう話した。

「わたしの故郷の輪島市が、まったく見知らぬ姿になっている、ということに、今日は本当に驚きました。新しい輪島市ができることを期待して、わたしの作品のアートプリントを寄贈させていただきたいと思います。昔、『マジンガーZ』をマンガ連載していたときの扉絵なんですけれども。それを集英社さんが、大きな形のアート作品にして、販売していただきました。輪島市に1点ずつでも置いていただけたら。ふたたび私の記念館ができるまでの期間、輪島の方々あるいは輪島を訪れてくださる方々に、希望を持っていただけるんじゃないか、と思い、こういう形になりました。」

輪島市によれば、『マジンガーZ』のアートプリントは、市役所や市民センター、小学校、道の駅などに展示される予定だという。

マリンタウン地区の「mebuki-芽吹-」で昼食。もともと輪島市内にあったフレンチの店舗が震災で全壊。自身が被災しながらも、仲間と炊き出しを続けていたシェフが、新しく始めた居酒屋が「芽吹」である。永井は今の料理を賞賛しつつ「またいつかフレンチが食べたい」と、シェフを激励し、ともに記念写真を撮った。

昼食後、日本海が見える場所に移動した。この日の輪島は、晴れ渡っていた。青いジャケット、白いハット。胸元には、ターコイズの勾玉のアクセサリーが揺れている。永井は、子供の頃にあそんだ神社があった場所や、マンガ雑誌を買った書店について、思い出を話した。

その後、輪島市内のショッピングセンター、ワイプラザの店舗内で営業する「出張朝市」を訪問。永井は朝市の方々と話しながら、求めに応じてのれんや垂れ幕にサインしていく。

日吉酒造では『マジンガーZ』のラベルが貼られた日本酒を手に記念撮影した後、『キューティーハニー』の色紙を描いた。

集英社マンガアートヘリテージが輪島塗額の製作を発注した田谷漆器店では、田谷昴大社長と懇談。永井が自身の結婚式の引き出物を依頼したのも、田谷漆器店だったという。田谷漆器展は被災後、トレーラーハウスを改装し、輪島塗のショールームや職人の工房に。宿泊施設も併設する交流施設を企画〜運営している。

最後の訪問先は小学校だった。永井の出身校である河井小学校(当時の名称は輪島町立輪島小学校)に仮設校舎を建設。輪島市立6校合同小学校として運営されている。校舎には、子供たちのにぎやかな声と走り回る足音が響いている。

「何年ぶりだろう。小学校1年生の夏休み前に転校してから、はじめて来ました」
 という永井。

出迎えてくれた校長先生は二人。合同小学校のため校長二人体制なのだ、という。小学校には「マジンガーZ/機械の巨神」を寄贈した。

「僕の担任が女の先生だったんですけど、とても可愛がってもらって。引っ越す時に、立派なクレヨンのセットをもらったんです。東京に引っ越してからも、そのクレヨンは僕の宝物でした」

「輪島の人が好きですね。ぐいぐいこっちに向かって来てくれるようなところも」と、永井豪は笑う。

多くの人に囲まれ、笑顔でポーズをとる永井。震災後、さまざまな形で輪島市ならびに石川県への支援を続けている。直近では、永井らがよびかけ、日本漫画家協会が能登半島地震支援のために色紙のチャリティーオークションを行い、その収益金1億2300万円余りを石川県に寄付している。

永井豪の作品と行動は、人々に勇気を与え続ける。

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